《 水墨画の特性が出現する歴史》
墨による絵は、線で輪郭を描く白描(白画)スタイルから始まり、書と画の用筆は同じものとされた。
(...のちの人文画(文人が余技として描いた絵画)が出てくるのも、そういう流れから。)
また。早々に画法なども論じられ、陰影法なども出てくるが、初期のものは隈取されたもので、水墨のグラデーションによるものではない。
墨の濃淡で、色を表すようになり「墨は五彩を兼ねるがごとし」と評され、最初は花の絵などが主流。
西洋画とは違うのは、多角的な方向から見た構図で描くところで、一度見たものを自分の中で再構築してから、それを絵に描くとする画家も出てくる。また、偶然性も絵の要素の一部であり、アクションペインティング的な見せ物が展開される時期もある。
こうした水墨の展開は唐の時代に起こり、基本のスタイルは、ほぼ完成されたとされる。
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《 詳細 》
▶後漢の終わり頃から墨と筆で絵(白画)を描く人がでてくる
▶唐の高級官僚 張彦遠(ちょうげんえん)815-877は『歴代名画記』649の中で
【書画同体】「書と絵画はともにコミュニケーションの手段であって、書は意味の表現であり画は形の表現である」ということを語り
【白描(白画)】スタイルの画家 顧愷之(こがいし)345-406の描く線を「緊勁(きんけい)にして聯綿(れんめん)、循環にして超忽(こうこつ、格調は逸易(いつえき)にして風趨電疾(ふうすうでんしつ)のごとし」とたたえ「書と画の用筆は同じものだ」とまとめている。
▶南宋(479-502)の謝赫(しゃかく)が 『古画品録』で「画の六法」として画法を語っている
気韻生動:迫真的な気品を感じ取ることが可能であること。
骨法用筆:明確な描線で対象を的確にあらわすこと。
応物象形:対象の形体を的確にあらわすこと。
随類賦彩:対象の色彩を的確にあらわすこと。
経営位置:画面の構成。
伝移模写:古画を模写すること。
▶凹凸画 きつい隈取で立体を表す陰影法をつかった絵画
梁(りょう)(502~557)の宮廷画家 張僧繇(ちょうそうよう)、唐初の画家 尉遅乙僧(うっちおっそう)らの作品がそれ
▶唐の高級官僚 張彦遠(ちょうげんえん)815-877は『歴代名画記』649の中で
則天武后期(664-690)の画家 殷仲容(いんちゅうよう) の作品は...
「墨は五彩を兼ねるがごとし」と記される。画法は凹凸画
「書画の芸は意気をもちいて成る」とも記す。
▶その水墨画の花の作品は、徐熙(じょき)886-975、禅僧画家 牧谿(もっけい) などに引き継がれる
▶玄宗(在位712-756)に仕えた宮廷画家 呉道玄(ごどうげん)の作風の特徴
・「呉帯当風」風に吹かれた帯のような伸びやか でおおらかな描線を描く
・「胸中丘壑(きょうちゅうきゅうがく)」目の前の光景を一度自らの中に取り込んで自分なりに構築して理想的な風景を表す
・数少ない筆で簡潔にかつ要点を捉える。
▶これらが水墨画となってゆく。
【著色(着色)】スタイルの画家 李思訓(りしくん)653-718と同じ風景を描く対決があったと、
朱景玄(しゅけいげん)『唐朝名画録』「嘉陵江の山水」の話が載っている。
▶王墨(おうぼく)の師 項容(おうぼく)を山水画家・荊浩は「筆には全く骨がない」と評す
▶王墨(おうぼく)という画家、
『歴代名画記』に王黙『唐朝名画録』に王墨とあるが同一人で『宣和画譜』がいう王洽(おうこう)のことと考えられるが、
酒に酔い,墨を潑(そそ)ぎ,手や頭髪を用いるなど作画を見せ物として行う。
墨を潑ぐことから、この手法を「潑墨」(はつぼく)と呼ばれるようになる。
水墨画にはこうしたアクションペインティングの要素も加わり、「席画」「揮毫階会」などのスタイルへと展開する
▶玄宗(在位712-756)に仕えた詩人 王維(699?-761)も「破墨山水」などの絵を描く..「人文画」の流れ。
▶唐の後期10世紀の山水画家・荊浩が『筆法記』で「水暈墨章」と表現し、
▶蘇軾(そしょく)1037-1101は「古今の変、能事畢れり...詩文書画においてなすべきことは唐の時代に終わっている」と語る。
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